のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

ふと気づけば・・・

ふと気づけば、私は今、この時節柄、それなりにふさわしい本を手にしている。

(昨日のつづき)
この本は、人間にとって、別の人間を殺すことは、ほかの何物にも増して忌避すべき、激しい抵抗感を感じる行為だと、明確に教えてくれる。おびただしい調査と歴史的事実を数え上げ、それは実証されている。
ならばこそ、広島の原爆を「仕方がなかったことだ」と言うことの過ちが良く分かる。第2次大戦の焦土作戦から広島の原爆へと至る一連の無差別攻撃は、相手の降伏を引き出すには極めて非効率な、逆に戦争を長期化させた愚鈍な手段だったと分かるのだ。

それら戦略の根底にあったのは、死への恐怖は人の士気を低下させる、という心理学的解釈だった。けれど、ドレスデン空爆も、日本への都市爆撃も、バクダットもパレスチナもすべて、あらゆる戦火の都市が証明したのは、それとはまったく逆の事実だった。一方的な攻撃に晒された人間は、怒りと憎悪という戦闘意欲を燃え上がらせるための新たな燃料を手に入れる。

にもかかわらず、そうした誤った方針を貫き続ける司令官がいるために、醜悪で出口のない暴力の応酬の泥沼へと人々は迷い込んでいく。司令部の構成員は戦闘から遠く隔たって、戦場の真実を知らないがゆえに、その不合理さに気づかず駒を進め続ける。

人間は本来、自らの死や負傷など身体的な危機への恐怖などより、他者から憎悪を受けることと、他者を自ら傷つけることへの激しい抵抗感を持つそうだ。近代戦における一般市民の被害者が増加の一途をたどったひとつの大きな原因は、現代の戦争の主役とも言うべき空爆によって、そうした「個人的憎悪」を伴う生の「人殺し」の凄惨な体験から兵士が遠く隔たることができたからだと分析している。
飛行機に乗ってボタンを押すだけの行為は、その気になれば、自分の罪悪さを糾弾する被害者を眼前に、自分のしでかしたことの現実を見ることなくやりおおせることができるということだ。

自分の行為が他者を傷つける、という事実を明白に認識できる人間が司令部にいれば、焦土作戦をなんとしてでも回避しようとする。けれど、それを表層的な認識しかできず、あるいは、自分の本来の心理的反応に蓋をしたまま社会的立場を重視する人間は、他者への無差別攻撃を選ぶ。その選択は、その人間の本質的な心理が発動しないまま下した決断であるから、当然に、人間心理の観点からは非効率際りない戦略となる。

であれば、戦争の悲惨さを描くには、被害者の悲惨さを訴えるよりも、加害者の精神的な重圧を描いたほうが効果的かもしれない。人間は、意外に思う人も多いかもしれないけれど、自分が攻撃を受けたことに対する怒りや悲しみよりずっと、自分が下した罪悪な行為と相手からの深い憎悪のほうが直接的に深く長く堪えるのだ。
それが示す意味は、もしかしたら、許すことのほうが、許されることよりも容易であるということかもしれない。被害者が加害者を許すという行為のほうが、加害者が自らの犯罪を許して水に流すより、きっと気楽に行える。他者を許すという行為では、第三者の助力を得ることもできるが、罪悪な自分を許すには、第三者の助力を求めることすら難しいからだ。なればこそ、たとえば子供を亡くした親は、直接的に危害を与えた犯罪者への怒りより、守りきれなかった自分自身を責める気持ちを克服するほうが難しいことになるのだろう。

このことは、人間心理を扱うものならば、従来よりもさらに強調して認識すべき問題かもしれない。人間は、もともと他人からの憎悪を忌避したい、他者に危害を加える罪悪感から逃れたいという本能的衝動が先に立っていて、怒りや憎悪はその後にやってくる2次的な反応だということを。

さらに、この本には、戦争で他者を攻撃しなければならない状況下に長時間置かれたときに、精神的戦争忌避者として心身に失調をきたす兵士は98%であり、残り2%はもともと攻撃的病的精神人格であった可能性が高いとしている。しかし、他者を殺害することのストレスが、どんな恐怖にも増して強いものであるなら、その嫌悪すべき体験自体が病的精神人格にその兵士を導いた可能性がないだろうか?少なくとも、その病的精神人格が「先天性」のものである証拠はどこにもない。

過度のストレスで胃に穴が開くように、強烈に自分を追い込んだ過去の体験が、脳への損傷にすらつながるということは想像に難くない。人間の体というのは、精神状態に依存した高い可塑性を持っているのだ。

パニックに弱いという日本人の軍隊が、当時極めて残酷な振る舞いをした背景には、そうした理由もあると考えられる。戦争で敵を蔑称で呼んだり、人殺しをジョークのネタにするのは、ありのままの真実に向き合う困難を回避するために行われる。

軍司令部の目的が、他国民の殺傷ではなく、相手国の降伏であり、その目的遂行をもっとも低コストで短期間に行うことが与えられた任務であるならば、確かに、この本は「軍事学」において、きわめて価値がある。
そう、元来、戦争の意義は人殺しにあるのではない。この本はそのことを教えてくれる。
そして、軍内部ですらこうしたことを認識できずにいる人々は多い。この本はだから教科書としてふさわしいのだろう。