のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

音楽の捧げ物

このうっとりするタイトルに惹かれて買ったバッハのCDは、予想に反してオーボエの演奏によるものだった。
まぁ、オーボエでも全然いいです。
どうせ、私はさほどクラシックに詳しいわけではないので。


ただ、マニアじゃなくても、なんて素敵なタイトルなんだろうと思った、『音楽の捧げ物』。
今日は、トビーをホテルに預けたら、異様なほどの解放感に包まれ、そして、私は彼に時間を「捧げていた」ことに改めて気づかされた。


もし子供がいれば、きっと私は自分の心の少なからざる部分を、子供に捧げるだろう。
そしてもし愛人がいれば、これまた大きな場所を彼のために使うにちがいない。
そうやって心のどこかには、いつも彼/彼女が住む場所がある。


(えっとー、『もし』、の話ですからね。この↑真ん中の文は)


私の心のアパートメントには、いろんな大きさの部屋があって、いろんな場所にいろんな人が住んでいる。
どこかの部屋に行けば、そこには会いたい人がいて、笑って迎えいれてくれるかもしれないし、
でも別の部屋は、近くを通りかかっただけで、罵声を浴びせられるかもしれない。
ある部屋からはいつも私を呼ぶ声が聞こえ、
またある部屋からは、その時々で違う歌声が聞こえる。
良く訪れる部屋もあるし、行きたくはないけれど、通らざるを得ない部屋もある。
大きくて日当たりの良い部屋もあれば、小さくて忘れ去られた物置もある。
誰も住んでいない部屋ももちろん沢山あって、ときどきそこで私は一人で身を横たえてみたりする。


どの部屋も、けれど、私の中にあることに変わりは無い。
心の中に、その「場所」がある。
いくつものコンパートメントに分けられたその場所を、私はその住人に捧げている。
場所の捧げ物。
見ることも触ることもできない、フィールド。
心の中のそのフィールドは、けれど、思いという力が働いている。
重力場には重力が、
電磁場には電磁気が、
形態形成場には、形態形成の
力があるように、
心の中の住人に捧げられた部屋には、
思い、という力がある。
のだと、思う。