のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

手かせ、足かせ

過去、金融会社のOLから出版社の編集者に公務員の研究員とさまざまな職を転々と(というほどでもないか)してきた私だが、最近また、新たな道に踏み入ろうとしている。
あ、セラピスト/カウンセラー(←現職)が抜けていたわね。


そこで今まで以上に切実に邪魔をしているかもしれないと感じるのが、過去の“栄光”。


ほとんど、挫折らしい挫折を知らないまま、かなり恵まれた生活と幸運に支えられてきた私は、かなりなんでも、そつなくこなしてきた。
それは、間違いなく感謝すべきありがたいことである。
だがしかし、これまでそつなくなんでもこなしてきたからこそ、その問題のなさが「足かせ」にもなりうる。


ぶっちゃけて言うと、失敗するのがいや、なのだ。
ほとんど失敗したことがないから、失敗が怖いし、恥ずかしいし、無能だとは見られたくない。
思い切って突き進む勇気が出ずに、口先だけで色々言い訳しようとする。


「失敗はないんだよ〜、フィードバックがあるだけなんだよ〜」
と、自らに猫なで声でささやいても、おなかの底で小さな小人がそっぽを向く。
その小さな小人は、小さいけれどもなかなかの暴れん坊で、おなかの中でジャンプしたり走り回ったりして、落ち着いて仕事ができない。


新しいことを始めるときなら、多分、誰でも感じる「もし失敗したらどうしよう」という不安。この小人が暴れるたびに、その不安がおなか中に広がる。
小人の名は、『ぷらいど君』。


何か新しいことを始めようとするとき、おなかの中でこのぷらいど君が暴れまわって邪魔をする。それが100%思ったように成功しなくても、そこから何かを学んで成長していくことが大事なんだよ、といってもぷらいど君は聞く耳を持たない。
「ぷらいど〜、協力してよ〜」
と、ぷらいど君を見ると、じゃらじゃら古い勲章を体中に身につけた彼は、ぶるぶる体を震わせている。


「何をしているの?」
と聞けば、
「重くてはずしたい、けど、はずしたくない気もする」
という。
なくなって欲しいような、でもそれはそれで惜しいようなそんな気持ちで、でもいっそのこと勲章が全て外れてくれればいいのにと思いながら、体をやみくもに振るわせ続けていたのだ。


過去のあるとき、それは自分を支える勲章だった。
でも時間がたてば、それが足かせに変わることもある。
もしかしたらそれは、大切なものであればあるほど、
大きな足かせになるのかもしれない。
何かを守り通した誇らしい行いまでも、固執という鎖に繋がれれば足かせに変わりうるのだ。
けれど、
気持ちの上で、もしそれをはずすとしても、
それは決して、自分の過去を否定することにはならない。
自分の未来を辱めることにもならない。


多年草は、冬になると、葉を枯らす。
翌年、青々した新葉を芽吹かせるために、自ら大事な葉を枯らすのだ。
根っこは生きているから、大丈夫。
本当の意味で、何も無くならないから。


それを聞いたぷらいど君は、体中の勲章を一つずつはずしていった。
そして、はずされた勲章は、おなかの中心で安定を与える軸となるのだ。