のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

毎日流れゆく日々について

 今日は、ずっと録画したままなかなか見れずにいた、岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」を見た。
 彼の作品は、いつも何か言葉にできない、ふんわりとした優しさと哀しさとに包まれた、・・・つまりは結局、言葉にできない何かを残す。

 こうして映画が終わり、あるいは、読み終わった本を閉じた後は、夜の静けさのなか、自分の現実はいつのまにかどこかに消え去ってしまったみたいに感じる。ただ、四角い部屋の中に取り残された自分だけがいる。

 この、現実世界から自分が遊離しているような感じは、正直なところふとした時、常に訪れる感覚でもある。
 たとえば、今日のように大学で働いたあと、総武線の電車に乗って秋葉原で下車する。たくさんの降車客に行く手を邪魔されたり、譲ったりしながら一緒に歩いているとき、自分がどこに向かっているのか分からなくなる。少し強引に人を追い抜き先に行く不機嫌そうな人の足取りをみては、彼の頭は一体どんな頭にくる出来事があったのだろうと、遠くから他人事で眺めている。
 自分にも生活があり、仕事があり、昨日の続きと今日の続きの明日があるはずなのだけれど、そうした責任が全て自分と関係ない他の星の出来事のような気がしてくる。

 そういうとき、確固たる現実世界に自分が属していない心許なさや、存在の寄る辺なさを感じる。でも一方では、あくせく日々同じことを繰り返す、大した価値のない現実世界を忌避し、そこに埋め込まれてはいないことにちょっと安堵する仄かな気分も抱え、はて、自分は何者でどこにいるのやら、と思う。

 退屈な繰り返しで、さして感動できるような魅力はない、自分を封じ込める灰色の壁のような「平凡な日常」に、突然ある人が通りすがり、ボカッ、といきなり穴をあけることがある。

 そして、現実の世界はじつは、とても奇妙で、逸脱に満ちているのだと教えてくれる。いろんな偏りや、極端さや、常識外れで無茶苦茶な人たちがたくさん生きていることを知らしめてくれる。

 電車で座っていた私の隣の空いたシートの前で、その人は数秒間立ち止まった。それからおもむろに私が開いた本を覗き込んだ。
 「もう私の眼は、年を取ってよく見えなくなっていて、『RASと暗号』というぐらいしか実は読めていないんだけれど、素因数分解っていうのは、すごく難しいでしょ。割り算で求めていくしかないんだけど、割り算っていうのは引き算にもなるでしょう。そこから、ほんとに一瞬で、ものすごく大きな数の計算ができることを見つけちゃったんだよ」
 眼を挙げるとそこにいたのは結構年配のおじいさんだった。私の隣に座って、いきなり話し始めた。数学のことに限っても話題はどんどん広がりあちこちに話が飛んで、大声で語るのでつばも飛んで、自分の数学の発見についての話は止まらなくなった。
「宇宙は閉空間は閉空間なんだけど、それが、馬蹄型ではないってことはわかるんだよね。このしゅーっという形があるでしょ、この局面のところがね」
 ガウス、とか、ユークリッドとか、400年前から知られていた素因数の研究だとか、さらには、バビロン人が60進法に変えた時から計算法が分かっていただの、特殊で難解な話題は、興味深かった。
 そのおじいちゃんは、高校の時に自分が学んだことに端を発し、今現在多くのコンピューターで使われている暗号を簡単に解く方法を見つけたのだという。どんな数学者も気づいていない、大発見をした。それを大学教授に行ってもなかなかゆっくり話を聞いてもらえない。数学化の大学生に話しても、そいつらは自分の野望があって、自分の発見だけ盗んでいこうとする。そこで小学生に教えて、広めていきたいと思っているのだという。自分が大学に行けてないし、もう仕事もしてないからお金もない。古いコンピューターで少しずつブロックに分けて計算するしかないけれど、簡単な解法を見つけたのだ。たとえば、こんなふうにといって、鞄を開くと、そこにはたくさんの自作のレジメが入っていて、そのいくつかを見せては、数字の羅列を解説してくれた。

 そもそも彼の関心を惹きつけたのは、私が開いていたコンピュータのデジタル署名や暗号といったアルゴリズムを扱った本のせいだったのだから、できることなら楽しく語り合うのもいいんじゃないかと、最初は思ったりもしたのだ。
 けれど、早口だし、趣旨一貫してないので、なんだか内容が半分も理解できない。そのうえ、静まった総武線の電車の中で、ちょっと一貫性が内容にも聞こ得る内容を、大声でしゃべりまくるさまは、頭がいかれた人にも見えてしまう。難解な、普段聞きなれない言葉が出てくるほど、正気じゃないように思えるのがふしぎだ。私は、ハラハラしながら話半分に聞くしかなかった。
 それまで、相槌を打っていた私は、次第にトーンが下がり、無口になって、最後には自分の降りる駅で、
「頑張ってください」
という他人行儀な一言を残してそそくさと去って行った。
 
 私は自分の臆病さとめんどくさがりのせいで、当たり前の退屈な日常を、思いもよらない彩りに染めたかもしれない出会いを、ただのつまらない無味乾燥な風景に戻してしまった。
 数学界の隠れた市井のヒーローを、孤独で哀れなただの老人にしたのは私だ。

 もしかしたら私はこうやって、毎日、自分の横をすり抜け通り過ぎていく輝くばかりの流れ星や、奇跡の軌道で導かれた彗星なんかを、ボロボロ見落としているのだ。
 こんなにも分かり易く、この世界の豊かさと面白さとダイナミックさを示してあげているのに、それにまったく気づくことなく、現実は退屈だと言ってるお前は、
 バカか?
 神様は、今日、そう言っていたのかもしれない。