思考と、感情と、身体を連動させるには、日々、生活していく中で生まれてくる美意識を通して、何かを表現したり生み出そうとするほかないと思ったのだ。
生きづらい人たちの人生は、上手くいかなことだらけだ。できないことばかりだ。そんなダメダメな人生のなかに、輝かしさを感じたい。
上手くできるようになることではなく、練習を重ねていることそれ自体とか、上手くできなくて落ち込んでしまうこと自体とか、やってもやってもうまくいかない絶望する姿そのものにすら、美しさを見出せるようになりたい。
美しいのか?それが?
醜いかもしれない。
でも、その醜さも、いとおしいと思えるようになりたい。
人々の日々の生活の大変さに触れながら、それを誰かにぶつけたくなるその人の苦しさを感じながら、そしてそれが自分に向かってきていてすら、その姿を愛おしいと思えるような、そんな自分になりたい。
と、ずいぶん壮大で器の大きな理想を掲げてしまいました。実際には大変困難なことだと思いますが、そうやって揉まれていく中でしか、本当の自分の美意識はきっと生まれてこない。
だからそれが、私のカウンセリングを続ける理由、かなと思いました。