友だちからのメールのなかにあったフレーズ、
「水のサイン、蟹の月」
という一節が、まるで小説のタイトルみたいに見えた。
そのようにメールの返事に書いたら、その友達が、
ほんとだね、小説の題名みたい。読んでみたい(笑)
って返事をくれた。
だから、私は、その小説を書いてみたいって思った。
友だちからのメールの返事を読んだのは、大手町で丸ノ内線を降り、半蔵門線に乗り換えるエスカレーターに乗っていた時のことだ。そのまま歩いてホームに辿りつき、線路の前に立って、水が滴った後に残った黒い影が残る、むき出しのコンクリートの壁に向き合って、
どんな話を書こう?
と思った。ストーリーなんて何もないまま、ただ、ひとつの文章が頭に浮かんだ。
「何の前触れもなく見えたそのビジョンが、それ以降、ずっと頭から離れなくなった」
何のビジョンかは、分からない。誰が見たのかも不明。ただ、そのビジョンは、水晶球の映ったビジョンのことにちがいない。
顔の上下を紫の布で覆い、マスカラに縁取られた大きな両目だけを露出させた、中年の魔女みたいな声の占い師が、両手をチラチラと漂させるようにして囲っている、あの水晶球だ。
その中年女の占い師は、きっと例のお決まりの台詞を口にするだろう。
「ほぉ〜ら、あなたの未来が見えてきましたよ」
私は引き込まれるようにして水晶球を覗き込む。それは、一点の曇りもなく透き通っているにもかかわらず、重く重く、密度の高い空間が凝縮されている。