のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

ちょっとだけ、ザリガニ再び(日記は8日目)

 今日は、朝起きて散歩して、お弁当を作り、通勤をして仕事して帰ってきたら、一日が終わった。

 これと言って話題もないので、昨日の映画「ザリガニの鳴くところ」についてもう少し追記。

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 湿地には、なにか引き寄せられるものがある。

 私がサウスキャロライナに住んでいたのは、よく考えたら、たったの半年だった。しかも割と内陸のほうだったので、海側の湿地帯のことはあまりよく知らない。海のほうまで出かけたことはあるけれど、それもたったの一回で、チャールストンというお金持ちの豪邸が並ぶ、美しい街並みを見学したぐらいしか記憶に残っていない。
 あとは、プランテーションとお屋敷を見学したこともあったなぁ。農奴の住まう質素な小屋と、ご主人様たちの邸宅との落差に衝撃をうけていた、はずなんだけど、それももう記憶の彼方‥・。

 つくづく、若い頃は何も分かっていなかったなぁと思う。目に心地よい、綺麗で整った場所ばかりに心惹かれ、浮足立った空っぽなアタマで関心があることと言えば、楽しいこと、美味しいものばかりだった。

 「ザリガニの鳴くところ」は、原作にも興味が湧いて、冒頭をオーディブルで聞いてみた。そうしたら、件の”湿地”というのがどんな場か、単なる自然が豊かな生態系などといった簡単な話ではぜんぜんなく、ずっと複雑で大きな問題を孕む土地なんだと知った。

 本の最初の章は「母さん」で、母が家を出ていくところから始まる。
 大きな音を立ててドアを閉めた母は、何も言わずに出て行ってしまう。特別な服と靴を身に着け、まだ6歳のカイアを残して。母が帰ってこないのではないかと心配そうに外を眺め続ける小さな妹を、すぐ上の兄、ジョディが慰めてくれる。

「母さんは戻ってくるよ。母親は子供を置き去りにしたりなんかしない。そういうものなんだ」

けれど、妹は不安を抱えたまま、昨日していた、赤ん坊を捨てた狐の話をして反論する。兄はそれに答えて、

「でも、あの雌ギツネは、足にひどいケガを負っていたんだよ。子狐の分も捕ろうとしたら自分も飢え死にしていただろう。だから置き去りにした方が良かったんだ」

と言う。ここで映画を観終わった読者は悟る。じつは、この兄弟の母親もまた心身にひどい怪我を負っていた。だから独りで出て行ってしまったのだ。ここからしてすでに、ここに住む貧しい人間たちもまた、厳しい自然の生存競争を生き抜いていかなければならない存在なのだと、暗示している。

 原作では、そこからこの湿地の植生や生態について、どこまでも続くオークの森や、鋭い葉が立ち並ぶ湿地の描写がある。その先にある静かな海辺の砂浜など、美しく映し出された景色が、一体どんな歴史をはらみ、どんな人たちがそこに住み着くようになったのかが示される。

 クリスマスツリーの飾りのように、スパニッシュモスが賑やかに垂れ下がる巨木がいくつも垂れ下がる森を抜けて、みどり美しい葦が水辺を彩る沼地をボートで行き来するさまは、まるで幻想の国のように印象的に美しい。けれど、その湿地を抱え込む岬の先は、「大西洋の墓場」とも呼ばれている、厳しい海流と気象条件が重り、海を航海する多くの人の命を奪った不吉な場所なのだ。そして、奥に広がる湿地も、潮の満ち引きを繰り返すばかりで、不毛で無価値なところとされていた。

 そういう土地に住み着いたのは、逃げ出してきた水夫や、行き場がない流れ者やもと罪人、さらには有色人種の奴隷たちなど、社会の理不尽な生存競争から逃れてきた人々だ。ほかに生きていけるところを失った人たちが集まる、吹き溜まりのような土地。

 けれど、何も生み出さない荒れた場所のように見えても、実際はとても豊かな海の産物を与えてくれる、そういうバックグラウンドは、なかなか映画だけでは分からない。小説の方が、書かれたテーマのより深みのある事柄や登場人物の行動の意味、心情に触れることができる。

 映画が先か、小説が先か問題があるけれど、この作品は映画が先の方がよさそうだ。このあと、小説を読んで、あのシーンにはこんな意味が!とか、描かれていなかったけれど、こんな背景があったのか!かなど、さらに面白く楽しめるだろうから。

 この物語は、とにかく子供で一人取り残されるカイアが、街の大人からも子供からもいじめられるさまが、本当につらく、アメリカの差別のエグい。でもそれだけじゃなく、男性の暴力性や利己的、支配欲、裏切りも辞さない成功への憧れとか、ダメなところがいっぱい描かれ、虐げられてきた女性の解放もテーマの一つになっていると思う。

 とにかく、いろいろと深いんですよ。そして、なかなかに知的で長大な小説なのに、500万部も売れるアメリカっていうのもなかなか凄いと思った。

 ところで、タイトルを、私だったら「ザリガニたちの鳴くところ」と訳したい。
 ザリガニは鳴くか?と問われれば、その答えは、鳴かない、だ。彼らはただ、ハサミだか体節だかを、ゴキゴキとこすらせて音を立てているにすぎない。
 だから、日本語でも複数形にした方が、無数のザリガニたちが、ゴキュゴキュと体をこすらせ慣らしている、そういう迫力ある場所が想起されていいんじゃないかと、思うんです。