このところ、毎日、ブログを書いている。結構、記事が溜まってきたなぁ、くふふ。と悦に入って記録を見返したら、5,6年前にも意外と記事が書かれていたのを発見した。
昔の日記を読み返してみると、今よりずっと読みやすい。しかも、着眼点とか表現とかもしっくりくる。うんうん、そうそう!と内容にも非常に共感できる。
ま、自分が書いたものなんだから、言いたいことに共感できるのは当然なんだけどね。
そういえば、その昔、実家に帰ったときに、夜になって予想外に冷え込んだことがあった。寒い~と騒いでいたら、帰り道に着るように母が上着を貸してくれた。
その、モヘアに細かいラメが編み込まれた、丈が長くて厚手のカーディガンは、確かに暖かくはあったが、いかにも片田舎の地元の衣料品店で買いました、とでもいうような正真正銘のおばさんっぽい服だった。でも背に腹は代えられない。それに、帰り道は電車に乗るだけで大して誰も見ていないだろう。そう思って、ありがたくお借りして、着て帰った。
次に実家に行くとき、服装に無頓着な私は、その服を着て行った。荷物が増えるのもいやだったのだ。そしたら、母から、
「あら、いい服着てるわね。似合ってるわよ」
と褒められた。
え、このおばさん臭い服がに合っている? 少なからずショックを受けながら、
「いや、これお母さんが貸してくれたやつよ」
と答えると、
「あ~ら、そうだったの。ずいぶん素敵なのを着ているなと思ったわ。ほほほほ」
と言われた。
人って、自分がいいと思ったものは、とことんよく見えるものなのだ。大きな発見だった。
私はよく、自分の本棚を見て、なんて面白そうなラインナップ!と思う。書棚の並びには、流行りの本というより、少し深い思想や思索を刺激されて、ちょっぴり高尚になれたような気がする、気が利いた本だ。
そうした自分の「愉しみ」の在り処がにはちょっと自信があった。
のだけれど…、結局は、自分が良いと思うものが並んでいるから、良いとおもうだけだったのか。がっかり。。。
自分のセンス。それは、永遠に、乗り越えられない課題である。