のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

シュタイナーの瞑想法からの教えのわたし的解釈

 今日は、昨日に引き続き、図書館に行って短編小説のネタを考えた。うちの近所にある図書館は、パソコンが使える席がふんだんに用意してあって、仕事や作業に集中しやすい環境なので、とても気に入っている。

 どういうところが集中しやすいかというと、まず第一に、ネット環境がない。なのでサボれない。WiFiが飛びまくっている自宅だと、「ちょびっと気晴らしに・・・」と思ってツイッターなどを開いたら最後、気づいたら2時間が経過していた・・・、などというのが日常茶飯事である。しかし、wifi環境が無ければ、そういうことは起きない。(もちろん、スマホにはギガの縛りをかけている)

 第二に、周りの人たちがみんな静かで真面目である。なぜ生きた人間がこんなにも長時間身動きせずにいられるのか?と謎に思うぐらいに、周りのみんなが、じっとPCに向かい続けている。しかも、図書館に集ってくるぐらいなので、静寂を好む人たちが多い。そこで私も、「黙々とやらねば」となる。つまり、同調圧力のポジティブ利用である。(誰も圧はかけてきてないけど)

 さらに言えば、何か調べる必要があれば、資料はよりどりみどりである。何しろ、図書館だから。ただ、そこまで必要ないのに面白そうな本を見つけてしまうと大変である。過去に、場人物の名前を決めるのに、「赤ちゃん名づけ辞典」を参考に画数まで調べ始めてしまい、その一日が終わってしまったという前科がある。資料選びは慎重に行いたい。

 そんなわけで、今日も自分を図書館に缶詰め状態に追い込み、何らかの構想を膨らまそうとしたのだった。

 でも、物事というのは、そんなに都合よくは運ばない。いや、単にやれよ、って話なんですけどね。集中力が3分ぐらいしか続かず、ふら~と立ち上がってはトイレに行ったり、横に並んだ書架のあいだをさまよったり、落ち着かない時間を過ごしていた。

 そうしたら、久しぶりにシュタイナーの本が目に入った。手に取ったのは、「シュタイナーの瞑想法 秘境講義2」である。

 ルドルフ・シュタイナーは、言わずと知れた人智学協会を設立し、人間の霊性を高めるために尽力した、スピリチュアル界の超巨匠だ。私は、これまで何度も彼の教えに傾倒しては、「いや、わては未熟すぎて無理や・・・」、と挫折し、でもやっぱり霊性を磨かないと!と舞い戻っては、「これ現代人には堅すぎるんちゃう?」と、諦めるのを繰り返し、とその教えに反して強い意志力を獲得できずフラフラしつづけているのである。

 あまりに集中力が持続しないので、これはシュタイナー先生に喝を入れてもらうしかない、と他力本願な思いがむくむくと湧き上がって、上記の本を手に取った。

 そしたら、冒頭に掲げられているのは次の教えである。

 1 名誉心を絶つ

 2 生きることへの執着を絶つ

 3 安楽を望まない

 いきなり、なかなかの難易度である。でも、そうなれたら、いいなぁと思う。

 名誉心があるから、こうやって良いアイディアが思い浮かばないとすぐに自分が嫌になり、すぐに安楽に逃げ込む結果、集中力を養う忍耐からも遠く隔たってしまうのだ。

 しかも、この教えには続きがあり、

 4 名養心のあるものと同じように働け。執着のあるものと同じように生きよ。安楽のためだけに生きる者と同じように幸せであれ。

 と書かれている。さらに、ハードルは高い。さすが、超感覚的認識力を得ることを目指すだけのことはある。高次な人間の能力開発への道は、簡単ではないのである。

 でもまぁ、この最後の一文は、いちばん実践しがいがありそうなことではあるなぁと思った。

 「安楽のためだけに生きる者と同じように、幸せであれ」ってつまり、名誉も、生きることへの執着も、安楽もないけど、とにかく幸せでいよう、ってことだよね。

 だから、何があっても幸せ気分で生きていこうぜ、というわたしなりの意訳を胸に携え、今日の夕ご飯はタコライスにしよう♪とくるりと方向転換して家路についたのだった。