いつものように図書館で書架のあいだを彷徨っていたら、例によってまた、一冊の本が目に入った。シュタイナーに続いて、今度は、
である。なぜ目に付いたのかというと、今思い返してみると、おなかが空いたので、「パン」という単語に反応してしまったのではないか、と思われる。いや、まじで。
あと著者が、大変物知りで話が面白い鹿島さんなので興味がわいた、というのもある。私は、そもそもパンセってなんだっけ?思いながらパラパラとページをめくった。で、ああパスカル!、と思い出した。
パスカルと『パンセ』は、ゴロの良さで一発で覚えられる組み合わせNo1ではなかろうか。なので、倫理社会の試験では、どんとこい、の人だった。生徒手帳の欄外に書かれていた、「人間は考える葦である」の名句も覚えやすいし。
とはいえ当然ながら、その本体を読んだことなどなかった。それが、鹿島先生の手にかかると非常に分かりやすく、面白い思想が紹介されている。
この本によると、パンセはもともと数学や物理の研究者だったが、そうした抽象的な学問を話題にして話せる相手がいないので、より話のネタになりそうな人間研究を始めたらしい。
ところが、人間について研究する人は、幾何学を研究する人よりさらに少ない、という事実を発見して、パスカルは衝撃を受ける。(とまでは書いてないけど、たぶんそう)
パスカルは1623年生まれ。数学者なんて現代よりもさらに少なかっただろう。その時代から、マニアックなおタクが仲間を欲しがるのは変わらないんだなぁと感慨深い。でも一方で、人間についての研究をする人が稀少、というのは私にとっても衝撃だ。
常日頃から私は、AIが発展して人間を凌駕する!?みたいな話題が出るたびに、そこで想定される人間観が単純な機械論すぎて問題なのではないかと疑問を感じてきた。
AIをやっている人は、人間がどういう能力を持っているのかが十分に分かっておるのか?もっと、人間についてこそ、ちゃんと研究した方がいいのではないのか!?(←何様?)、と。
その点からもパスカルには、深い親近感を感じながら、本を読み進めた。したらなんと、先日書いたシュタイナーと同じようなことを言っているではないか。
いわく、「虚栄というものは、人間の心の中に非常に深く錨を降ろしている」
いわく、「好奇心とは、実は虚栄心にほかならない」
つまり、人間は、自分が人にいいところを見せたい気持ちから、自分が色んな新しいことを知りたい、知って人に教えてやりたい、と思う、それで生まれたのが好奇心だ、といっているのだ。
この「虚栄心」と「好奇心」をまず並べてくるあたり、シュタイナーと意見がいっしょやん!
パスカルさんは、ものすごく看破なさっている人なのだと、すぐに信頼を寄せる私。
加えて、「人間の最大の卑しさは、名声の追及にある」とも述べている。
「しかし、まさにそのことこそが、人間の卓越差の最も大きなしるしなのだ」と言っていて、名声の追及が、100%過ちではないような言い方をしているように見えなくもない。ここは、シュタイナーとは意見を異にするところかもしれない。
それにしても、こういうのを読んでいると、人間って、ほんっとにダメね、とつくづく思わずにはいられないのだけれど、私はなんだかそれが楽しい。
いや、ほんと~に人間ってあさましいし、身勝手だし、虚栄心で生きているし、しょうもない生き物なんだ、16世紀の神童も言っているぐらいだし(いや、ちょっと意訳すぐるけど)。
そうなると、自分もまぁこれでしょうがないよね、とゆるされる気がする。
この安心する感じがあるからこそ、こういう哲学書ってよく売れるんかもしらんね。
とはいえ、パスカルの見解は、まだ最後まで読み終わっていない。なので、明日もこの続きを書くよ。