のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

感想文

未亡人の一年を読了した。
次には、アーヴィングが好きだと言う、ギュンター・グラスサルマン・ラシュディ
ガブリエル・ガルシア=マルケス、ロバートソン・ディヴィスなんかを読もうと思う。あとは、主人公のルースが好きなグレアム・グリーンとイェーツも読んでもいいかもしれない。
ルースがすきというからには、アーヴィングだって敬意を表しているに違いないから。


ジーン・アウルを読み終えたとき、すごいなぁ、と思ったけれど、アーヴィングの比ではない。アウルのほうが面白い、と言う人はたくさんいると思うけれど。やはり、私は洞穴生活をする人類黎明期の人間ではないということか。たとえ、これまでに経験した社会的、精神的未熟さが、アイラと同程度だとしても。

ルースに訪れる幸運は、とてつもなく羨ましい。その幸福の輝きは、以前の一連の苦い体験や不運によってこそ鮮やかに際立つものだとしたら、その不幸ごと羨ましいとすら思う。


私は、黒い小箱に入って、一つだけあいた針の先ほどの小さな穴から外を見ている。穴はあまりにちっぽけで、箱の外にいる人の全てを見渡すことは決して出来ない。偶然にも、その小さな視野に入った相手の一部分だけ、その場所から動かずにいる間だけ、丸い視野のなかでじっくりと観察する。見えるのは、甘皮が硬くなった爪の根元だけだったり(それが左右のどの指かはわからない)、平らな皮膚にできたやけどの跡だったり(体のどの部分かも、当然わからい)、長いまつげに縁取られた血走った白目だったりする(この場合は、右か左かはその形で検討がつく)。
そのかわり、小さな小箱に入っている私の身の安全は、完璧に補償されている。この箱から出さえしなければ、誰も私を傷つけることはない。それは、外界にいるひとには私の存在は知られてはいないのだから当然のことだ。
かくして、私は平穏の箱に閉じこもり(閉じ込められ)、外をうかがう。決して、その全貌を目にすることも理解することもできないまま。