異質って書くと、いつも、頭にはエイリアンというコトバが思い浮かぶ。
人々を見ていていつも思うのは、
みんな、いろんな価値観を持っている、ということ。
同じ言葉をやり取りして、
互いに、そうそう、とうなづきあっていてすら、
その考えている内容は違い、自分の中心におく真理も違う。
かなり似ていることもあるけれど、
人間というのは、自分で好き勝手に解釈する、という癖があり、
自分の意図するものと、相手のそれとが本当に同じとはいえないかもしれないのに、
人々は、同じものを見ているつもりになっているような気がしてならない。
とはいえ、
自分が何を意図しているのか?
ということを真剣に穿り返すと、自分の言いたいことすら、
あやふやになるからね。
それでも、同じような価値観を持つ人々、というグループ分けは確かにできる。
(ある対象についての同じような価値観、というべきかも知れないけれど。)
すると、その同じグループの中で、いくつかの真理が何度も繰り返され、
大事にされ、磨き上げられていく。
そうやって同じ価値観を持つ人々同士で、仲良しになるのは実によくあることで、社会生活を楽に過ごすために最も有効な方法だ。
でも、私はときたま、
互いの似たものを探しあい、共有しあっているつもりの人々の集まりのなかにとっぷりつかるのを、とても居心地悪く感じるときがある。
なぜだろう。
同じ仲間、という幻想の上に築かれたその平和さは、
本物ですか?といちゃもんをつけたくなる。
青いのね、きっと・・・
私が欲しているのは、
同じである、ことが一つの前提になっている世界よりも、
違う、ことが前提となっている世界なのかもしれないけれど、
そんなものを欲していても、あまり現実味はないらしい。