のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

生まれつきの・・・

TFT(思考場療法)という、EFTのおかあさんのような療法についての本
(こちらです→TFT(思考場)療法入門―タッピングで不安、うつ、恐怖症を取り除く
を読んでいたら、次のような利用例が見つかった。
あるセミナーに参加していた心理療法の専門家の一人が、娘が突然亡くなったという
悲報を受けて、急遽家に帰ろうとした途中で、TFTを施したというものだ。
それまでの突き刺すような痛みが、一瞬にして楽になり、今は娘のやさしい思い出に
包まれている、という。


それに対して私が感じたのは、もしかしたら私は、同じような状況下で、
TFTを受けることを拒絶するかも知れないということだ。
私は、その痛みを受け止めることが、自分にできる唯一の亡くなった者への弔い
であるかのように思い、その痛みを止めることに激しい抵抗を感じるかもしれない
と思ったのだ。


もしかしたら、そういう風に考える人は少なくないかもしれない。
それはたとえば、潜在的に自分を罰したい気持ちをもっているから
かもしれない。


私には生まれつきとしか思えないような罪悪感がある。
それを、小さなころの様々な経験の中で身につけた感情だと解釈することは
可能だろう。だけれども、同じ様な環境で同じ様な体験をしても、人々は決して
同じ選択をするとは限らない。
それどころか、みんなが異なる解釈をし、戦略をもち、理念と信条を心に植えつける。


つまりは、ダレもが結局のところ、自分自身で何かの思想を選ぶのだ。
多分、それが生まれつきのスタイルというものではないだろうか。
たとえ、他人からみてどんなに非合理的であっても、
社会生活に不利であっても、
必ず選んでしまう思想、というのが人にはあるのだ。


TFTEFTがどんなに強力であったとしても、
そこには他者の思想を持ち込むことはできない。
すべてを選び取るのは自分なのだ。
だから、あなたが目指すものを目指しましょう、
と私は言いたい。
今はまだ分からなくても、
あなたがこの世に生れ落ちたときに、
小さな握りこぶしの中に握り締めていたはずの何か、
あなたが選び取っていくことに決めている何かを、
目指しましょう、
といいたい。


今はたとえ、とても非社会的で、自分に不利益で、他人にも不利益に見えたとしても、
その生まれつき選ぶものの真のコアは、もっと自由で楽しい可能性に満ちているに
違いない。