のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

アメリカ、アメリカ

最近、私が学ぶものは、ことごとくアメリカ発である。
それは、一体どういうことなんだろう?
単に、アメリカという国がすばらしい文化、あるいはアプリケーション、あるいは
ビジネスシステムを作り出す場所である、というだけのことなんだろうか?


私が最初に訪れた海外はアメリカであり、最初に海外居住を体験したのも
アメリカである。
私が好きな作家、ジョンアービングもポールオースターも、レべッカ
ブラウンも、ル・グィンも、アメリカ人。私が読む作家の7割はアメリカ人
といっても言いぐらいだ。
タッチフォーヘルスも、スリーインワンも、EFTも、NLPも、ソースもアメリカで
生まれ、マーフィー博士もブライアン・ワイスもエリクソンも、アメリカ人なら、
パールズも、アメリカに移住した。


私は、一見どうでもよさそうなことにこだわる、という趣味があるので、
これだけアメリカ発の文化や思想を取り入れながらも、一抹の疑問が
湧き上がるのを無視することができない。
なぜなら、私が惹かれ、魅惑される様々な文化や思想を生む国は、同時に、
9.11事件に象徴されるような憎しみのターゲットにもなっているからだ。


私の英会話の先生は、カナダ人で、『アメリカ人』はあまり好きではない、らしい。
多くのアメリカ人は、selfishだという。
当然、同時に、多くのアメリカ人が思いやり深いこともまた真実なのだけれど、
確かに、アメリカのビジネス経済が世界を凌駕するやり方に、多くの人々は
羨望と脅威を感じている。


ナポレオンヒル成功哲学や、マーフィー博士の著書や、同じ流れを汲む
EFTのPalace of possinilitiesなどは、自分のポジティブな思想が導く成功は
限りなく大きく広がると説く。
その思想は、自信に満ちたアメリカ文化が世界に広がる原動力として働いている
ように見える。
けれどそれは、今バクダットの廃墟で暮らす人々にも有効なのだろうか?
それを取り入れさえすれば、彼らもたちまち繁栄を手にできるのだろうか?
スーダンの奥地で、殺戮を強要されている少年兵にも、同じチャンスはあるの
だろうか?
もしそうなら、いっそ、だれもがその思想とシステムに身を任せれば
いいのに、と思う。
もし、本当に、そうであるなら。


いずれにしろ、私はまだ、この問題をうまく整理できていないので、ここで
きちんと何らかの結論じみたことを書くことができない。
ただ、その成功哲学のシステムは、あまりに単純に見えてしまうときがある。
一方で、この世界は多様性に満ちている、と思う。
富む国や人がいて、貧しい国や人がいる。
けれど、人間はあまりにちっぽけなので、その個人的世界は、とても小さく
限られている。
個人的世界を別の場所へシフトしていくことはできるけれど、そのときは
自分が過去いたところに、お別れしなければならない。
自分が属する場所を広げるには限界があるのだ。
だれも、同時に二つの部屋に住むことはできないように。