のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

セラピストの椅子

先週末で、10日にわたるNLPの講座が終了した。
バンザーイ!


その最後の日の懇親会で、とても胸に染み入る話を聞いた。
それは、私がここしばらくの間、抱き続けていた疑問への答えだった。


人の心理的な変化を効果的に齎すスキルをモデリングして体系化したNLP。その創始者の一人であるバンドラーの理想は、「自然に変化を生じさせられる」ことだそうだ。
それは、その変化が起きた瞬間、本人にはそれが望んでいた「変化」だと気づかないぐらいスムーズに、自然な心の働きとして起きるということだ。


あまりにも自然に、内側から変化が起きるために、クライアントはそれがセラピストの介在によるものかどうかすら分からない。そのくらい無理の無い、けれど効果的な変化への選択肢をクライアント自身が選び、そして、クライアント自身のリソースでそれを生じせしめる、そういう変化。


その結果、何が起きるかといえば、クライアントとセラピストという関係性が霞のように消える。直してあげる人と、直してもらう人というある種の「上下関係」がそこから消滅し、ただ対等な人と人として存在する。


私は何度も、「すべてはクライアントの心の中で起きているのです」というエリクソンの言葉のなかに、セラピーの本質があると信じてきた。そして、その同じライン上に、この思想がある。


とはいえその先には、セラピーの腕前が上がるほど、「セラピスト」としての存在がかき消されるという矛盾が待ち受けている。
幸福の王子」あこがれてきた私には、なんだか宿命的なゴールに見える。


でもまぁ、そういうのもいいな、と思う。
旅を続ける自分の行く先々で、みんなの問題を解決してはそこを去っていく花の子ルンルンみたいな生き方が結局、私にはほっとする。と、これまで何度も思ってきたわけなのだから。


だから、私にセラピストの椅子はいらない。