のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

シービスケットと右脳

世界恐慌に苦しむ1938年、マスコミをもっともにぎわせたのはルーズベルト大統領でも、ヒトラーでも、ムッソリーニでもなかった。ルー・ゲーリックでもクラーク・ゲーブルでもない。その年、新聞がもっとも大きく紙面を割いたのは、足の曲がった小さな競走馬だった。」


これは、映画にもなった『シービスケット』の冒頭です。
それは、一匹の名馬と、その馬を通じで出会った3人の男の奇跡の物語です。
幾度となく降りかかる不運と周囲の妨害にも決してあきらめなかった人々と馬の、不屈の意思と勇気についての物語です。


映画がとても感動的な素晴らしい仕上がりであるだけでなく、
その原作は、流麗な筆致による感動的なドラマです。
膨大な資料に基づく誠実な緻密さに彩られた作品の根底には、
著者自身が持つ、何かを成し遂げるために必要な強靭さがあり、
それがこの実在のドラマの主人公たちの姿に重なってさらに大きな迫力を
与えているかのようです。


この小説を読めば、人間がもつ沢山の力に触れることができます。
異国で過去起きたという奇跡みたいな物語の中に、たとえば、私たちが
コーチングとかセラピーとか心理学とかスピリチュアルとかの本のなかで、
出会うのと同じ「気づき」が沢山埋まっているのです。


先日、テレビで右脳を開発するためのイメージメソッドとかなんちゃらのような
番組をやっていました。
でもね、映像をジーっと見たりすることより、壮大なドラマを本で読むほうが
右脳は開発されるんじゃないかと、私は思うのです。
というより、本当の目的は『右脳』を開発することではないのではないでしょうか。
スピリチュアルな力を開発したいにしろ、
想像力だのアイディア力だのを向上したいにしろ、
最終的な目的が、自分の創造的な能力をフルに有効活用したいということなら、
右も左も高めましょう、と私はいいたいのです。


NLPのアイアクセシングキューでは、
構成された(自分で想像した)イメージを想起するには、右上を見る
ことが多いといわれていますが、それは左脳へのアクセスを活発に
していることなのかもしれません。
直感で得たヒントを、自分で使える、何か形あるものとして表現するには、
構成力を発揮する左脳が不可欠なのは、いうまでもありません。
ていうか、
人間の脳は、右脳と左脳が統合された一つの脳として機能すべく生まれついているのですから。


言語処理が左脳だから、理論的に言語で物を考えると右脳の直感的な能力が生かせなくなる、みたいな誤解を与える表現が多すぎるような気がします。
あまりにも単純化されて、物事の本質を見失ってしまう記述が最近は多すぎる気がします。
それは、複雑なことを左脳で一生懸命考えるのは大変だから、
視覚イメージのように一気に沢山の情報を扱える右脳で分かったふりをしよう、
みたいなものかもしれないとすら、私には感じられるのです。


「言葉」で書かれた小説には、目に浮かぶイメージや耳に聞こえる音や、体に感じる興奮や、鼻で嗅ぎ舌で味わえる刺激が沢山沢山埋め込まれているのです。


そして、現実の出来事のなかに(あるいは良くできた物語のなかに)、沢山の、私たちが学ぶべき「気づき」があります。
分かりやすい標語みたいに羅列された「ためになる言葉」を沢山読むのもいいのですが、ときには小説や物語から、自分で「気づき」を掘り出すのも必要なんじゃないかと思います。
それは、錠剤になったサプリメントばかり飲んでいると、消化器系がヤワになって、自然の食べ物から必要な栄養素を吸収できなくなる、というのにも似ている気がします。


小説を読もうね、みんな。
そしたらきっと、右脳も左脳も統合されて活発に働き始めるよ。