のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

感じる力

私は、自慢ではないが、いわゆるスピリチュアルな能力というのにあまり長けていない。
こうしたセラピストというような類の仕事をしていると、スピリチュアルな感覚が鋭い人が周りにゴロゴロいるので、逆に「長けてません」というのは希少価値、といっていいかもしれない(自慢じゃないといいながら、自慢?)。


でも、日本全国の「見えない世界」のことを感じる力に自信がないみなさん、
大丈夫ですよ〜。


え?「感じない」私が言っても信憑性がない?
いやいやいやいや。


NLPでは、あらゆる外界からの情報は五感を通して取り入れ、それによって内的世界を作り上げ、それを基盤に、さらに外的世界に働きかける、ということでその感覚というものの重要性を強調していますが、
まぁ、そんなことを言うまでもなく、当然のことながら、
自分に必要で、しかも、欲しいと思う情報は、通常の持ち合わせている感覚で(あるいは、そのうちのどれかが不自由だとしても自分にある感覚内で)ちゃんと入って来るようです。


ということを、最近実感しました。


私はしばらくあることをずーっと迷っていて、
度々結論を出しながらも、デモ結局やっぱりどうしよう、
と、優柔不断炸裂の悩み再来を何度も繰り返して、
それでもどうしても自分自身で決断するには、いまいち情報が足りなくて、
教えてください、
そう思ったら、教えてもらいました。


以前から、そういうことって良くあることではありました。
「ああ、これがわかりたい」
そう思うと、どこかで関連する本を目にしたり、
どっかで誰かがそれを語るのを耳にしたり、
なるほどね、そう思うことを何度も繰り返すうちに、
「求めよ、されば与えられん」
というのは、私にとっての一つの真理になってはいたのです。


なってはいたけれど、ふとした拍子に知る何か、というのに
強く継続的な確信を抱く、ことがときどきできないということもありました。
「そうか!」
と思っても、一週間ぐらいの間に別の出来事があって心がぐらつく、とかね。
そんなことです。


でも、先日は、
この人のところに行けば、きっと知りたいことを教えてもらえる、
そういう確信を持てる人に出会うのまでちゃんとセットで起きました。


何の気なしにめぐり合えた本であれば、まぁそれはそれで、大事なヒントとして必然的に与えられたのかも、と思ったりはするのだけれど、疑い深く迷いやすい私は時として、
それは私の思い込み?
そう思い直すことも多かったのです。
でも、ここまで信頼のおける人に出会えて、
しかも、そこまではっきり言われて、
もう、疑いようがないでしょうよ、どうなのこれで分かった?!
そう(誰かから)言われているような体験をしたわけです。


ああ、かみさまありがとう。


というわけで、
私のように「見えない」ものを感じる力が、いまいち弱くたって、
「大事なことを知りたい、分かりたい」
そう思えば、ちゃんと確信に満ちたやり方で、
知ることはできるのだなぁと、
思ったわけです。


ということは、「感じる力」ってきっと、
「感じたいと思う力、知りたいと思う力」なのかもしれませんね。