のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

自由と束縛について

 一人暮らしは、自由の温床である。
 平たく言えば、生活態度がいろいろと人目を気にしない、ずさんなものになるということなんですけどね。

 なのでトイレに入る時に、ドアを開けっ放しにするという人は少なくないかもしれない。また、神戸の震災以降、閉じ込められる恐怖からドアを開けたまま入るようになったという人もいる。
 しかし私の場合は、もともと犬の悪さを見張るために、ドアを開け放っておくようになった。

 先代の犬は、大変に大変に大変に食い意地が汚く、私がリビングを離れるやいなや、すぐさまテーブルに上がって食べ物をあさる悪癖があった。
 そこで、トイレに入るふりをして、犬がテーブルに上がろうとした瞬間、すぐに戻ってきて叱っていた。そうしたら犬は、私がトイレに入ってドアを閉じたのを見計ってすかさずジャンプ!するようになった。
 (ドアを)閉じたら、(犬が)上がる。
 これを防止するには、私はここにいて「いつでも叱る準備はできておるよ」という意思表示をしなければならない。かくして、ドアを開けておき監視できる体制が創り上げられたのである。
 ふぅ。


 しかし、現在飼っている2代目は、同じ犬種でもそんなハシタナイことはしない。荒々しくさまざまな破壊行動に及ぶことは頻繁にあるが、先代みたいな『食べ物にありつくチャンス』を常に狙うようなことはない。だから、私の目を盗んで机に乗ることもあまりない。
 (そう、目は盗まない。やるときはいつだって堂々と、である)


 じゃあなんで今もトイレのドアが開けっぱなしなのかというと、開けっ放しが身についてしまったのと(夫がいるときは、もちろん閉める)、犬が私の姿を探して後をついてくるからである。
 きゅうきゅう言いながら、ドアの外をウロウロされると、ちょっと胸が痛む。そのため今度は逆に、彼の安心のために、キミと私は同じ空間にいると教えたくてドアを開けはなったのだ。


 そうすると、2代目犬は、のこのこトイレの中までついてくる。そして、洋式便座に座っている私の膝に乗ろうとぴょんぴょんジャンプを繰り返す。
 彼は彼で、私がソファーや床に腰を落ち着けると、すぐさま膝に乗ってくるという癖があるのだ。


 ココで私が何をなしているかなんて、お構いなしである。


 まぁ、私が何をしようとあくまで自由なので、膝にのっけてやってもよいわけだけれど・・・、
・・・なんかね・・・。
・・・ちょっとね・・・。
そういうのって、ひとりで自由にのびのびとしたいよね・・・。


 てなわけで、誰の目をはばかることなく、自分勝手にふるまえるはずの空間にも、小さな葛藤はある。
 小さく愛らしい獣の前足を払うと、開け放たれたドアの向こうに揺れるしっぽが消えていく。残るのは、抜け毛よりも軽い良心の呵責とあからさまな解放感。
 これが、あまりにもちっぽけな私の世界のなかで考える、束縛と自由について。