いま住んでいる築20年を超えるアパートは、玄関ドアが壊れかけている。
まず、取っ手の周りのリングみたいな部品が外れて、内部の歯車みたいのが露出している。さらに、ドア枠が歪んで立て付けが悪くなっているので、渾身の力を込めて押し開けなければならない。
なので、飼い犬に散歩に行くよ~と声をかけ、一目散に玄関ドアに向かって走っていく犬に急かされても、ドアが開くまではたっぷり10秒ぐらいはかかるのである。玄関ドアは、体重をかけてドアを押してもなかなか開かない。もたもたしている私の足元で、犬は一緒になって、
ドン!ドン!ドン!ドン!
と飛び上がり、前足でドアを押している。そして、ようやく二人(一人と一匹)の念願かなって、ドアがバッと開く。
犬は、外に飛び出して行き、アパートの敷地の生垣におしっこなんかをかけている。短い後ろ足を高々と上げ、非常に得意げである。その様子を見ていると、まさか自分がドアを開けたと思っとるんじゃあるまいな、と心配になる。
確かに、傍からは共同作業みたいに見えるかもしれない。でも、ドアを開けたのは私よ。99%、私の力だからね。そのあたり、間違えないように。
と、犬に言い聞かせるも、彼はそっぽを向いてフンフンと草の匂いを嗅いでいる。
開けたドアは、閉めなければならない。そして、閉めただけではなく、鍵も掛けなければならない。私が苦労してドアのカギをかけているあいだも、犬はぐいぐいリードを引っ張って先へ進もうとする。その引っ張る力に対抗しながら、ドアをぐっと奥に押し込むと、ようやく鍵が廻ってカチャリと施錠が果たされるのである。
そんなこんなで出かけるまでに、2,3分かかる。なかなか難儀なことである。
すごく昔は、家に鍵なんかかけなかった、と友達が言う。とくに田舎では、都会よりもあとのほうまで、そうだった。だから私も、家に鍵をかけない時代を知っている。でもいまやそれは、何十年も昔のことだ。
とはいえ、先日実家に帰ったとき、高齢で車の運転ができなくなった父から、買い物に連れていくよう頼まれたさい、家の鍵をかけることなんてすーっかり忘れて出かけてしまった。
鍵を掛けないどころか、帰ってきたら玄関の引き戸が、少々空いているではないか。焦った💧
でも、そこまで大っぴらに戸が開いていたりすると、泥棒も、まさかここが留守とは思わないかもしれない。
亡き母は、むかし、夜に外食などで家族で外出するときは、必ず茶の間の電気をつけっぱなしにするよう命じていたことを思い出す。で、玄関の鍵はかけずに出かけたりして。
電気がついていて鍵がかかっていなければ、そりゃー、誰かが在宅であろうと人は思うであろう、という逆転(?)の発想。
そんな母のもとに育つと、施錠するのは面倒くさいし忘れるし、という人間ができあがるのであった。