のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

生理痛をレイキで直すことについて

今日はおなかが痛い。生理痛なの。
とりあえず、レイキプラクティショナーなので、しゃーっと気を流した。
でも、やり方がいい加減なのがいけないのか、鈍痛はなくならない。そうしているうちに、やはり最近ひどい生理痛に悩まされている友達のことを思い出した。


彼女いわく、痛みの原因を除去すればよくなる、すなわち、ゆっくり寝込んでいればよくなる、そうだ。
ていうことは、寝てればいいってことか?とも思う。
痛み、というのは体からのメッセージだ。寝ていればそれが収まる、ということは、まさに体がやすみたいよぅ〜と言っていることそのもののような気がする。


TFHのセミナーで講師の方が言っていた「直ればいいんだっていうのが西洋の考え方」
というせりふを思い出す。西洋的な手法では、多くがまず、確固たる自分の意思があってそれを実現するにはどうするか、という風に行動が決定されるような気がする。その点、痛みは体のサインなんだから、なんて受容するいい方はとても東洋的だ。体を流れる経絡でも、森羅万象の一部として人間を捉えていく、という哲学で東洋で捕らえるけれど、西洋ではその過程はすっとばして、その経絡のバランスを整える技法を使卯ことに注目し、自分をよりよくしていこう、と考える。あくまで、個人の意思がその中心にあるようだ。


西洋占星術でも、星を読み解くのは現象として、であって、その読み解き方や使い方に誰もが共通の基盤とすべき哲学はない。一方、中国占星術が陰陽五行説に基づく世界観を基盤に生き方を見出そうとする。洋の東西の違いはこの点にあるんだなぁというのを最近明確に意識できた感じがする。


そしたら、中国で編み出された技法が西洋に渡って合理的にツールと化したEFTが再び私という東洋人の手に戻ってきたとき、それはどういう風に使うべきなんだろう。
EFTは感情を解放する。どういう風に感情を解放するか。その取り扱いかたをこれから私は真剣に考えなければならない。

東洋哲学で言えば、レイキで痛みを除くべきではないかもしれない。それは、今現在のこの体が痛いから休みたい、といっているメッセージなのだから。
じゃぁそうしたら、痛いのは仕方ないことなのか?ってことになって、誰もが月に一回特別休暇をとら無ければならなくなるわけだけれど、実は漢方の本にはちゃんと、本来あるべき健康な状態ならば、生理痛というものはないはず、と書かれている。
てことは、体を改善しなきゃいかんってことになるのだ。


てっとりばやく、痛みだけをとろう、ってところが西洋思想。レイキを使おうが、EFTを使おうが、手っ取り早く痛みだけ、ではやはり片手落ちってことになるんだよねー。
と思った次第なのだった。