のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

服従したいという欲求

デーヴ・グロスマンさんの
「戦争における人殺しの心理学」を、
読みかけのまましばらく休んだ後(内容がディープなので、毎日読むと、
ちょっとこたえるから)、再び再開した。


で、その本のなかに出てきた本日の印象深い一言。
フロイトいわく
服従したいという欲求を見くびってはならない」


デーブは著作中、「服従」が齎す力が、「殺人」という行為への本能的で
強烈な嫌悪感を克服するのに大きく働くと述べている。
つまり、権威者の命令は絶対なのであり、
人間は本来、そういう服従したいという欲求を持っている、ということになる。


似たようなことは、カラマーゾフの兄弟でも触れられていたと思う。
「奇跡と神秘と権威」への欲求としてドストエフスキーは語っていた。


この服従への衝動は、私自身、激しく心当たりがある。
普段、私が心から尊敬申し上げる人、というのはあまりいない。
正直言って、相当少ない。
自分のことは地上45階ぐらいの棚にあげ、相手のトータルな人間性を客観的に
観察する癖があるのだ。
その観察では、相手の弱点をこそ敬愛すべき強さの表れとしてみなすので、まぁ公平なやり方だと思ってはいるけれど、そういう意味で、
「おっしゃることは何でも言うとおりにいたします〜〜〜〜」
と地面にひれ伏し崇め奉る人はいないのだ。


にもかかわらず、私の浮ついた感情が動き始めると、とたんに意見は180度転換する。
「彼の願いなら、犯罪を犯してでも・・・」
と思いかねない危うさがある、ような
気がする。(と、婉曲にここには書いておこう)


服従は、はっきりいって快楽である。
自分の理性的な思索への努力を放棄して、相手の神秘と権威に酔いしれることができさえすれば、それは明確に快楽なのだ。
そしてその快楽は常に、「絶対」という幻想の上に成り立つがため、操縦不能の危うさを内包している。


一方で、何者にも服従しない、同調しないと決めたときに、そこには得体の知れない不安と恐怖が生まれる。
自由と責任がもたらす不安。
そこから立ち上る孤独への恐怖。
それに打ち克つには、たしかに、勇気が必要なのだ。


この不安と恐怖への耐性、あるいは、服従しないことへの抵抗力は、生まれつきの素質で決まっていると私は思っている。この耐性あるいは抵抗力が強い人は、リーダーになり、そうでない人は従う者になる。
とはいえ、フロイトが言うように「服従したい欲求」本能的なものであるなら、小泉さんにも石原さんにも、そういう欲求はあるのだろう。
ほんのちょっぴりぐらいは・・・、ね。
(もっとも、ある絶対的な権威者(あるいは人の形をしない権威)に従っているリーダー、である可能性は、さらに大きいのかもしれないけれど)


と、ここまで書いて思うのは、
ほんと〜は、きょうは、もっとソフトで物柔らかでお手柔らかな、やさしげであたたかい物言いにしたかったんだけど、なぜ、こうハードコアな表現になってしまうのかしら??
おかしいわおかしいわ。
まぁでも、もう夜遅いからいっか。


今週の目標(て、水曜日に宣言するのも中途半端ですけど)
今週は、物柔らかで楽しそうなトーンの日記を書く!

ではまたあした。